グローバル化されてしまった世界 自然との共鳴は可能か

2019年末にパンデミックと言う姿なき無言の威圧が限りなく世界を席巻するとを誰が疑っただろうか。だがウイルスは忍び寄っていた事は確かなる事実だ、その足音は心なしかざわつきを表していた。2004年鳥インフルエンザが人体に影響を及ぼすようになった、ウイルスの行き場が生命体を介して媒介と言う効率性を上げて来た。地球環境はウイルスと自然界に於いて未必の故意に当たるような必然性がある。少し以前にサーズ、マーズウイルスが鳥獣類を通して感染が始まっていた。以後、人へと移行し人の間を介した感染となっていく、その後、小康状態が継続して今日に至る。

人間の世界もそれと平行線上に間接的な行動行為が可能となるインタネット世界がより重く頭をもたげてきた。所謂リモートを旨とするネット世界だ。これは全てに於けるアクセスが可能となるであろう、いや可能だ。そこで最大の懸念材料が生じる、政府が個人のプライバシーを確実に掌握出来ることだ。ではあるが世界の人口の全てには不可能である。ただターゲットとなると話は別だ。より密度のある暗号化が必要となり政府に加担するような企業でなければ脅威とする事もないであろう。

この二つは思考内回路に収めることは必須で共存形態を構築する事は大切である。今後起こり得る諸条件は地球環境変化による災害及び自然災害に対して自己の精神的免疫を上げることと、変異するウイルスへの対処である。ワクチンの云々を問うがワクチン接種がなければ結果は甚大になったであろう、集団免疫を構築し個人の免疫向上にも寄与する。ではここで問題となるのは特異体質と突発性特異体質である、言及するがこれは神の領域となってしまうであろう。

        傑出の一遍    多大 和彦 トーマス