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海辺の風は何時ものように心地よく頬をなぜていく、過ぎ去りし日々が波のように心をざわつかす、あの時のように携帯のコールが鳴って欲しい、あの時のように弾んだ声を聞かせて欲しい、そしてあの時のように話したい、話したいのだが。白い砂浜を素足で歩いていた、この情景の中に埋没するかのように涙が溢れて来る、どのくらい歩いたのだろう僅かな距離だがそう感じる、彼女を待つかのように白いオープンスポーツカーが彼女を待ちわびていた。パンプスに履き替えペタルを踏み込んだエキゾーストの音が後方に流れていった。

彼女と友達の彼女はドライブ中のすれ違いだった、平原を歩く彼女との目が合った時だ、確かに吸い込まれるような強い印象が残った。直ぐシフトダウンしトーアンドシールをしガスペダル少し踏み逆ハン気味にUターンした。彼女はもともとモータリゼーションを楽しんでいる人だ、バイクも好きでオフとロードの二台を所持している。二回のUターンで彼女の側にタイヤを軋ませて止まったのだ、「散歩」と声を掛ける「うん 少し向こうのカフェに行くとこ」あどけない声が戻ってきた。「よし 乗って喉が渇いたから一緒に行こう」なぜか全く躊躇せず「車大好きよ」軽やかな声とともに助手席側吸い込まれるようだった。

取り留めのないオシャレの話から始まりトラベルの方に繋がっり、次回はツーリングの話で纏まった。お互いにバックグラウンドの話は全くしなかった、意味をなさないようだそのような話は。

二人のタンデムしたバイクが姿を見せたのは一カ月ほどしたからだ。彼女のライデングスタイルは膝までの乗馬ブーツ、黒の乗馬パンツ、革ジャン、首にはスカーフさすが姉御。タンデムする彼女も赤いブーツ、ジーンズ、パーカーに黒のジャンパー、黒のヘルメット、双方お見事。アクセルを搾りロードへと入った、いきなり風を切ってスピードを出した、キャーと言いながらしがみつく彼女、タンデムを気に入ったようだ。「楽しいい」と聞くと「今が最高この気持ちが続いて欲しいな」インカム越しにうねる、「そう私もなんだこのまま続いて欲しいよ」ぽつりと言った。

山間から下りに入るがスピードを落とさない、「しっかり抱き着いていてね」先方の岩がみるみる近づく、突如 花火のように咲、散った。

気が付くとベットにいた、ほとんど動けない体になっていた。が、あの時の彼女の声が耳に再生された「今が最高この気持ちが続いて欲しいな」とだ。側に看護師が立っていた「彼女は」と聞くと「風となりました」と言った、嗚咽の涙がとめどとなく溢れた「何故置いていくの」。

紛錯してしまったのか世界は

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ご無沙汰しています。

或る午後の強い日差しを浴びながら開くフェンスドア、何時ものように多くの目が私に向けられていた。どのくらい歩いたのであろう、どのくらい泳いだのだろう岸は見えてこない、暑苦しい感情と言う既成の概念に阻まれたようだった。自由は求めるべきものではなく自然に訪れるものだ。が、阻害されてしまったドアは二度と開かない。人生の或る角から覆いかぶさってきたのだ、人権侵害、それは花火のように燃え盛る花か毒花かだ。そして無音で忍び寄る無感情な魔の手だ。連鎖反応し染まっていく開花していく複雑な動作をいとも簡単にしてしまう手品のようだ。彼らは取りつかれたようにまるで蜜でも吸うかのようだ、それ以外の楽しみはなくなってしまったのだ。他にもう一つあるそれは金を見て舌なめずりする姿だ。

デープステェートと言う影の政府が大きく背後に潜んでいる深い状況下だ。ほとんどの市民も加担するように洗脳されてしまった。無知と言う媒体を把握しているから、市民は抜け出せない哀れとしか言いようがない人々だ若干の報酬に右往左往してしまう、それがハンバーガーの報償らしいと聞いたことがある。組織ストーキングが犯罪であるとの認識もなく赤信号皆で渡れば怖くない程度かな。

現在 世界全体が自由に疑問符がついてしまった、新型ウイルスとの事で。従来と異なり変異して挑んでくる、豪雨により地表の変化で土石流となる、因果なもので自由は人権侵害からは得られない、大自然の摂理が及ぼす影響下だ。自由、正しさを重く受け止め正道を見極めて欲しいい。地に枯れても因果応報に背面する生き方は考えて、例え政府の要請でも。

霧氷に煙るキッチンドリンカー

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ご無沙汰しています。

 

北海の積丹半島近くに彼女の生家ある。自然に恵まれはしても厳しさには変わらない冬の止む事のない雪また雪である、自然は容赦なく性格をも構築していくもんだ。性格の暗さは其のころ培われたのであろう。お爺さんは蟹とり漁師、お父さんは大工と言う家柄から非凡差は感じることは出来ない。五歳のころから真っ青な海を見るのが無性に好きだった心が落ち着くのであろう、ただ茫然と見ているだけで満足を得た。子供たちに虐められることはあっても遊ぶことなく夢を見るかの様だ。お父さんは5歳年下でお母さんの自慢でイケメンでもあった。それは子供も心に優しく映った。

高校を卒業し就職の為札幌に出る。性格が明るい方でないので一般的な仕事は無理の様だ、幾つか変えるうちに清掃員と言う比較的人と交わらない個人を旨とする仕事についた。雪子は動物特に犬が好きだ、これに溺愛する人は無償の愛で犬に溺れていく、無所得に愛してくれる、それが犬猫だ。札幌の大通り公園を犬のサムと散歩中に声お掛けられたのが8歳年上の結婚していた彼だ。24歳の時だった。彼の家に入り一年後に年子で二人の子供育てることとなる。仕事、彼の両親との軋轢、育児、精神的な疲労が背後から風のように舞い込んできた。そうなると夢が幾つか音を立てずに脳裏を過るものなのだ。そのような時の夢は荒唐無稽なものが多い、外国語のオーソリティーなるとか、外人に文化を伝える個人事業とか、一人キッチンに立った時に飲む酒は遠慮がない、だから量は増えるものだ。またその時こそ夢の始まりは果てしないものとなるものだ。量と親族との軋轢は増すこそあれ消えることはなくなった。24年が過ぎ去っていた目の前には50歳の大台が待ち構えている時だった。吹雪く日だった、酒も多めに入ったいきなりおとなしい夫に離婚を言い放った。夫は黙っていた、そして一言放った「分かった、何時でも会いたい時には合うから」と寂しそうに言った。

その時定山渓温泉シエハウスでルーム係清掃の住み込みの仕事があった。考えることなくその仕事を選択し愛犬のアルと移り住んだ。酒は好きなだけ飲めるし自由だし前夫に声を掛ければ一緒に過ごせるし、だが良くしたもので将来の夢に再びとりつかれてしまったのだ。と同時に政府の影の要人からある男とのメール交換の要請が来たのだ。報酬も貰えるし願ってもないことだ。堰を切って将来が崩れていくの知らないままに虚飾な人生に酒を道ずれに入っていたのだった。

 

人生を愛した 最終編 作家トーマス太田

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 疲労と挫折で喘ぐ者も少なくない人生を愛せるのは冒険家と哲学者だけであると言って過言ではないようだ。

ブライトンの海岸に沿った道は英国造りの花園だ、海岸と砂浜は自然な調和だが人の手が入ったようにも見える。昼間は、ほぼそこで思考と読書だ。スッカリ女性の影は消えていた、夜はチャイナレストランでの調理ヘルパーで生活費を極めて低く抑えた。元来、美食には興味すらなかった。野菜類と豆、少量の海産物があれば十分だ。それも過食することなく腹七分である、そう考えると何時も笑いが込み上げる「なんて無欲なんだ」、酒を飲む、酒で癒すと言う習慣は全く他人事であった。「精神を癒すのは自身だよ」と平然と笑える自分が好きだった。だが、女性と居る時、レストランでは彼女の言うとおりにするすることも彼の流儀だ。アルコール類は一切飲まず、彼女が飲めばそれを楽しむだけだ、勿論、食べきれないから切って彼女の皿に入れてやることもある。そう言う時は彼にとって愛情を感じる時間でもあった。女性にはある種の畏敬が常にあった。母子家庭たったこともあるし、母の愛情を溢れるほど受けたことだ、亡き母の面影を抱きながら歩き続ける事は人生を決して誤った方向へは進まない。ぽつりと言う「果実を見れば木が分かる」だな。そして、天涯孤独は自分を表現するための媒体キャンバスでなければならない。

緑が溢れ、雨が緑を覆い爽やかに自然が移行していく、外気はしっかりと湿度が低く蒸すと言う事は無縁だ、アングロサクソン系のシャープな顔は気候に由来するのであろうと感じた。旅は好奇心、触れ合い、袖すり合うも多生の縁か、旅情は尽きない。静樹は空手も有段者、其のことも心持を穏やかにしているのであろう、軽く考えるが有段者になると武器を両拳に持っているのと同等なのだ、だからウセイ奴が持つと危険極まりない。公園で仮想組手や型、柔軟体操を体力維持の為に強いてやった。必ず見物人が集まった、臨時に指導することもあった。西洋人の空手観はマーシャルアーツで神秘的かつ最強と考えているのだ。たまにはとんでもないこともある、165センチに満たない小柄な男であり、その鍛錬稽古を見ていると真の力を試したくなるのは人情かも。まして片足に乱取り組手で痛めた古傷で不自然な動きがある。ではあるが引き締まった裸体からは昔取った杵柄が滲みでる。その時、180センチある薄笑いを浮かべた大男から対戦のリクエストがあった。このようなストリートファイトは勝たねばならない、勝以外の意味は存在しない、「果たし合いもそろそろを終わる歳かな」と呟く。宮本武蔵は28歳以降は真剣果たし合いはしていなかった。まず必ず確認を取る、「怪我をしても良いのか、この見物人はウイッドネスになるからね」、男は言った「問題ない」、言うや否やストレートパンチが顔面に向けて飛んできた。目線が合った瞬間にそれは読めた、静樹は何時ものように身軽な驚異の跳躍力を利して跳ね上がり、後ろ廻し蹴りを体重を乗せて踵をこめかみに打ち込んだ。この大技は力の差が離れていないとなかなか決まらない、大男は前のめりに音を立てて崩れた。見物人は拍手喝采に湧いた「ワンダフル」。動かない、間もなく救急車が来た、見物人の説明を背後に受け、何時もの様に何時もの説明をしパスポートを見せた。静樹は何もなかったようにポーカーフェイスでそこを去った。20代の証明だ、そして先の人生を彩るものへの足掛けだと心に留めた。

静樹の姿がビクトリア駅に遇った。滞在期間も終わりに近づき残りの数日をロンドン市内見物とした。歴史的な建造物が多くウエストミンスター寺院の前に立つと芸術的威圧感と相まって石の立体感と創作性とを受け入れない分けにはいかなかった。「ああ松島や」だ。バッキンガム宮殿での衛兵交代、おもちゃの国を彷彿させ、只々、凝視するしかない、七つの海を君臨した大英帝国。歴史上の栄華は素晴らしい後世への贈り物である。

帰路はロンドンから格安航空券での乗り継ぎ空路となる、ドバイ、ニューデリーは少し時間があり見物する事にした、降り立つと何か皮膚が刺すように痛い、そして猛暑だ。何これ、原因は焼き付けるような暑さだった。ではあるが日蔭は涼しい湿度度もそれほどない、褐色眼光、彫の深さはこの気候から生まれるんだろう。牛は悠々と闊歩し人は日陰で昼寝である、何ともストレスのない生活だ。タイの空港では蒸し暑さと蚊だ。香港経由で羽田空港着である約一年ぶりの日本、別に感慨もなく、シーユーアゲインと呟きながら群衆と雑踏の中へ静かに消えていく静樹だった。

 

人生を愛した 第三弾

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駅での人並みは爽やかに流れていく、バックパックとバゲージだけの簡素ないで立ちでの行動なので身が軽い、何か欧州人のような感覚さえなったものだ。先ずは宿泊先へ直行である、ユースホステルと言う若者が使う安宿である。が、公認宿泊機関であり清潔感は十分だ。当時のフィンランドは短期滞在者でも労働許可が出た。これには驚いた、多分、動労力が低層労働を補えないのであろう。職安から仕事を探せた、静樹は電線工事と言う職種を選択、その理由は「俺って、高い所が滅法好きなんだよ賃金も悪くない」崖から見下ろし、畔(ほとり)、海岸岸辺が気に入りだ、そこからのカメラのフェンダー越しに見る風景は絶品だあるとの思いを持っていた。電柱の上で電線張りの工事をしていると下から声がした、ふと見下ろすと幅の広い帽子をかぶった金髪が帽子下からそよいでいた、フィンランド語で話しかけてきた、「分からない」と英語で返した。北欧は第二外国語がドイツ語だ、であるから英語の威力も一般には使えない事がある。が、公的な場所では必ずと言っていいほどユニバーサルランゲージである(心配無用スーパーランゲージ、補足、英語を憶えたいなら異性の友を持つことだ)。彼女囀る(さえずる)ように「Tシャツに何て書いてあるの」、彼のシャツに大きな漢字模様が入っていたのだ。出会いとか機会とは偶然な興味から始まるようだ。その時、小休止で下に降りた、「俺、日本人」、「えっ、嘘」取り留めのない会話となった。でもそこには見えない繋がりが生じる、神秘性を感じることも稀ではない、「袖すり合うも多生の縁」然りかな。「さー 今日は日曜日だ」昔ここでオリンピック開催された、薄らと記憶が頭をもたげた、「開催競技場へ行ってみよう」そこは時代が過ぎて行く面影がくっきり浮かんでいた。最上階の椅子に腰掛けフィンランドの空気を胸いっぱいに吸い込むと空想が止めどとなく脳裏を掠めていく、と共に、極自然に静樹の口から漏れるのだ「幸せだなー」これは全く嘯かない正直な彼の心境である、空間の自由を満喫できる現在を感謝との雄叫びだ。

ある日、街で見かけたカニ又で歩く青年をだ、見るからに日本人だ。ではあるが外国で見る日本人は一応にして中国人と間違うどうしてか、少し日本人の外面を話してみよう。ある部分の女子は語りかけても日本語が分からない振りをする、多分「私は外人よ」とでも言いたいのか、それほど白人と東洋人には美顔に対しての差があった。静樹にはそうされた事がなかった、一流のプレーボーイ気取りの彼だ。「女無くして何の人生だ」彼のキャッチフレーズでもある。話を戻し進める、バックパッカーである事は歴然だ、聞く「何をしている人」、彼はぽつんと言った「冒険家そのものかな」と、そこには照れた感じは無く行く先、何か世間にセンセーショナルな事を仕出かすのではと六感が騒いだ事は記憶に強く残っている。小太りな赤ら顔、酒焼けか、飄々とガリ又去って行った同志のようなものであった。後に彼が時の人となる、小野田少尉をフィリピンのルバング島で見つけ出すとは、その時、その様な概念は皆無だった。時の人となったのは鈴木紀夫氏であった。言った通りの立派な冒険家になっていたのだ、新聞を見て感無量となった。しかし、冒険家とカーレーサーは何時も孤独に去って行くのだ。最後の期はヒマラヤ山脈に雪男を探し求めて散っていった、何とロマンチストなんだドラマを地でいくようだ。相性の良さそうな奥さんとの笑顔の遺写真を見た時思わず目頭が熱くなった、ご冥福を祈ります。

三か月があっと言う間に過ぎた。デンマークへと方向を定めた、ここからは船足となる。昨日は身支度も新たにする為に洗濯もし、さっぱりと仕上げた。北欧の初夏は快適だ、まず日本の亜熱帯気候とは断然異なるものだ、そして短い白夜となるこれも情感溢れるものだ。クールネックの厚めのTシャツが白く映えた。そう大きくない客船はコペンハーゲンの港に入る、そこは御伽の国のように映った。やはりヨーロッパの文化は平面的な文化の日本とは異なり実に立体的だ、安定的に自然状態が継続される領土は文化の構築も深みを増すのであろう。気候も湿度を感じない爽やかさだ、まして北欧の夏は白夜と言って長く明るい。ここは人権に対しても法令処置が行き届いている。強く自由を感じた、ポルノグラフィ雑誌も驚嘆の域だ。素通りするように隣接しする国を跨いで行った。ストックホルムへと進める、他とは変わるのは言語だ北欧の第二外国語はドイツ語でその次はフラスン語で英語はマイナーである。しかし、スエーデンは英語を遜色なく使えるのだ。静樹は北ヨーロッパが性にあうのか背の低さを除けば違和感なく市民と交流で来た。静樹の英語はアメリカン英語で癖がなく軽やかに綴られる口調だ。当時としては稀で冴える(いぶかる)存在だった。

オランダ、ドイツ、フランスと列車旅を続けた。好奇心の目は倦怠疲労感は車窓から外へと消えていく旅情である。ファンタステック!「旅と人生は哀愁の標だ」と呟くのだった、多分、高揚した心が言わせたのか。海底トンネルで一気に列車はドーバー海峡を越境する。描かれた旅の青写真は英国にピボットを当てていたのだ。長期ね渡り留まる積もりでいた。ロンドンにたどり着くとその晩は夏季に臨時で張られたテント村で過ごす、其処は若者のヒッチハイカーが夏季を利用しての旅泊する場所だ。夏季はそう言う場所がヨーロッパには設置される、若者の好奇心には常に国境はない。ビクトリア駅から郊外の避暑地ブライトン、海岸沿いにある町だ、別に濃い理由は無いあるとしたら海岸で静かな場所だろう。その場所で過ごす時間は哲学に於ける考察「人生と愛」がテーマだ。人生で最も価値ある時期は20代である、20代をどう締めくくるかで後の人生に大きな足跡として影響が残る、と言っても決して過言ではないはずだ。既に彼の脳裏は整理されていた人生と言う冒険だ、冒険とは何も山河山海だけにあるのではなく抽象的偶像、都市や群衆の中から必然的にあるの方が寧ろ激だ、激流である。哲学する冒険家とは其のことで群衆の中に埋没しながら浮かぶのだ。非情と言える冒険だ。

 

人生を愛した 第二弾

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 若いカップルのミニスカートも珍しかった。カップルたちの旅は常に良好に行程が進むように感じる、旅とは心境の変化が環境が変わるごとに微妙に動く心だ。「長い事、風呂は御無沙汰だな、臭くないかな」ポツリ思う、車窓から見る風景は荒野に畑、点在する電柱、山下、放牧牛馬、只々、演習場を遥かに越える広大さは圧巻だった。何故か飽きることのない風景だ、「俺の頭は好奇心で何時も一杯だ」、モスクワの宵闇(よいやみ)を突き刺すように列車は駅に滑り込む。朝霧が煙る慕情か一歩踏みしめた瞬間、霧の中の自分に酔った。革ジャンとブルージーンズ、彫の深い顔はモスクワの駅にはベストマッチだ、行きかう人も静樹には異邦感を持たなかった。洋画の一場面、去って行く女をじっと見つめ女の名を呼び続けるシーンかな、ロマンを感じざるを得ない場面が外地にはある「カスバの女」か。英語は殆んど通用しない駅の案内所では英語が話せた、前もって指定されたホテルにタクシーで連れて行かれた、モスクワには三日間の滞在も指定されている。まばらな人並み、国家体制なので全てが穏やかに流れ、その眼差しにも別に際立った感じは見えてこない、広い広大だ、静寂感は静樹にとっては捉えようのなく取り留めのないものだった。ホテルもデカい人気のない校舎のようなものだ。「さー、今晩は風呂に入るぞ」ふと浴室を覗くと湯舟(後で気づくバスタブ)が煉瓦の上に於いてある、「へー、これって風呂桶か随分違うな」、湯を入れて入ったはいいが「何所で体を洗うんだ」、冷たいレンガの床に出て湯船のお湯で石鹸を流した。それはいいがそのお湯が流れずに床に溜まってしまったのだ。時間が経てば流れるだろうと浴室から出た。数分経つとドアがけたたましく鳴った、開くや否や大声で喚いているビアダルポルカのようなメイドが立っていた。階下に湯が漏れ落ちているとのことらしい、即、戻りタオル全部を床の湯に漬け絞り返した。西洋式文化だと知るバスタブで全てを済ますのだ。日本式の溢れるお湯で洗い流す事は快感だと懐かしく思う。慣れてしまえば別に大きな問題は無いだろう、元来、風呂はカラスの行水だ。

翌日、薄ドンよりとしているが晴れ間も覗かしている空模様の中を赤の広場への並木道を歩いていると、少し前を歩く女性がいた、通り過ごしながら挨拶をすると碧眼の目の色と微笑で見返してきた。「綺麗だ美しい」と呟く、静樹は圧倒的に美女には声を掛ける事は自然であった。多分。相手も悪い気はしないはずだとの気持ちは紳士道だと決めつけていた、その逆も然りだ。得意な英語で話しかけると英語で話し返してきた、英語での意思の疎通は実に素晴らしいスタンダードだしユニバーサルランゲージだと悦に入った。26文字のアルファベットの表現で世界は一つになれるのだ。静樹が喋れたのは米国への憧れとジョーン・バエズが好きな事で支障なくラジオから入って来た。赤の広場に二人はたたずむ、ソビエト連邦の表徴、ここは国の催事が行わる有名な場所だ。ベンチに座り身近な事を話し合った、大学性で親戚の家に遊びに来たとの事だった、日本への憧憬もありいずれは旅行で行きたいと言った、間髪を入れず「是非、来てください、僕が案内します」と伝え心にほのかなものが芽生えたようだ。人生には劇場のような成立性を感じた。ソフィアと逢った瞬時は其の後再び訪れつ事は無かった。

モスクワ駅から北欧に入る列車に飛び乗る、旅は一つ一つのメランコリックを重ねる憂いが好きだった。一晩越すとそこはフィンランドだった。車窓から眺める外景に写る印象は人々がとても綺麗な金髪で碧眼、これは晴天の霹靂だ、未だ過ってない日本と異なる文化風習を感じ美への憧憬の念を再度意識した。そして親日国家でもある。

人生を愛した 第一弾

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 暖かな微風を頬に感じながら呆然と昼下がりの町並みを眺めていた大津静樹、新宿の駅前だった。定職を持たない若者の集団、野宿も厭わないのであろう、彼もその中の一人だった。ヒッピーと言う若い厭世集団が既成の事実を嫌い主体的生活を好んだのである。ジョーン・バエズのフォークロックを愛した連中だ。実に静樹は高感度高い顔つきだ、その眼光には哀愁を感じざるを得ない、と言っても友は少ない、いや、必要ないようだ。「俺は何時も身軽だ、興味ある所へは行くぜ」、「俺は自然が友達だ、金は天下の回り物」所得欲のない男だった。思考思案しながら歩く姿は短身だが見劣りしない勇士を彷彿させるものだ、男の美学其のままだ。このまま蹲る(うずくまる)日本にも辟易だ。過る(よぎる)海の向こうへの好奇心が沸騰点を越えて時、横浜の大桟橋にその姿があった。「俺の唯一の財産はヤンキーのジーンズとバックパクだよ」と嘯いたのだ、革ジャン、白いTシャツにブルージーンズは正に赤木圭一郎そのものだった。

ナホトカから航路経由でのヨーロッパは格安行程で貨客船は若者で盛況である、津軽海峡での船体の揺れは初体験、食欲を失くした。船内には縁は無いが錚錚(そうそう)たる乗船客もいた。二日後にナホトカに着く初夏でもあり快い景観は忘れもしない、何か遠い昔の日本を感じた。下船すると待ち構えた様に子どもたちが駆け寄って来る、やはり服装も当時の様に継ぎはぎだ、口々にチュウインガムやボールペンを乞う呼びかけだ。スパシーバ(ありがとう)と何かを貰っては次々と駆け去っていく。思わぬことが去来した、終戦直後だった、通っていた幼稚園の米兵慰問で貰ったキャンディーの味を思い出し「おいこれこそ復古調だな」先々の思いを馳せ笑いながら一人呟いた。ここからハバロフスク(戦時中日本の軍用飛行場があった場所)迄はアイロフロート飛行機だ、それも四発デシプロエンジン旅客機にはオーソドックスな過去を感じた。そして以前の過激な体験が映え初めて飛行機に搭乗した、あの時の場景が脳裏を過ったのだ。数年前、自衛隊空挺団の訓練演習を経験しているのだ、全くの気まぐれで入隊した結果であった。汗と涙、そして血を吐くような訓練後、勇敢精鋭無視の印で胸に輝くウイングマークの為に五回の実地降下後、晴れてそれを胸に輝かす事が出来るのだ、それは羨望でもあった。最終降下は最悪な降下日和となった、軍用落下傘は強風にはお手上げで弱かった、それは最短距離を迅速に降下する為だけに製作されているからだ、もしそうでなければ地上からの砲撃に見舞われてしまうのでスカイダイビングとは著しく異なる。見る見る地上が競りあがって来た、危機を感じて最大限に対向操縦をした瞬間、軟らかい物が地面に叩き付けられたような感じが体に走った、形容すると大福餅が落下し地面上でぐしゃと広がる例えだ。数秒か数分かの断末魔が去った、「おお、生きているな、片方の足が動かない」、「痛てえ、あっ、動くな、背骨をやったな」、だが延々と地獄が待っているのだ、落下傘撤収後、全戦闘装備を整え無反動砲と言うバズーカ砲70キロもする砲を二人で担ぎ全速力で集結地まで走るのだ。炎天下でもあり鉄ヘルメットの中は火事場だ、痛い体を酷使し汗、また汗、悲痛な叫びと涙が溢れてくる既に死線を越えたかの畏服感か、只、生死のボーダーは消え去った。「おう、これが兵士の死を越えたと言う事か」凄惨過ぎる演習だ、実戦も演習もないあるのは国旗と言うものへの憧憬だけだった。一言が胸に焼き付いた「防ぎきれないものは、身を任す」、宮本武蔵は連戦無敗だ、彼は戦闘能力に卓越していた、彼が真剣勝負をしたのは28歳迄身体的に最高潮の時だ。戦う事は一つの哲学だ。こうした経験がその後の人生に於いての修羅場を潜り抜けられたのだと思う。右足を少しだがびっこを引くような歩き方になった、「哀愁を感じる後姿だ」と笑った。

難なくハバロフスク市に着陸する、降り立つと状況は相も変わらず子供たちがスパシーバを発しながら取り囲まれた。静樹は呟く「ガム、ペンを持って来れ良かった」と。次はモスクワだ、大陸列車での七日間である。三等寝台は寝るのに精いっぱいだ上下段の二段、ヨーロッパ目指す若者同士で話も弾んだ。情報交換をしながらそれぞれの背景を伺い知ることにある種の興味が湧く、何回も往復している者の中にはフィンランド語を話す者いた。