レーサーの孤独

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漱石に憧れを持つトーマスです

トウアンドヒールで細かく刻むクラッチペダル、ギア回転数を下げずギアチェンだ、数秒の誤差がスピード殺すヘアピンのアウトに車体を大きく持っていき目いっぱいにインに叩き込むのだ。首にかかるG圧をヘルメット後部をバーに押し付ける、ドライバーピットはドライバーメイドにセットされスペースほぼない。Gショックとの共存だ確かに首が太くなる、視界は直線に焦点を合わす300キロと言うスピードは先頭を守るとの気概以外の空白はない、壮絶なエキゾーストが後方に流れそれをヘルメットのインカムでとらえフォーミュラーとの対話となる、直線に入ると全てを吐き出すようにガスペダルを踏み入れる、強烈なGが体に鮮烈に入るよくジェット戦闘機のようだと言う。レーサーはこれも全く感じない恐怖心をだ、より増幅するスピードを求める、スピードと女しか高揚させるものはない。少なくはない名レーサーが去って行った、ジムクラーク、アイルトンセナ、クラハムヒル、福沢幸雄、浮谷東次郎、川合稔、フォーミュラー1それは男の世界だ。計算された命知らずかも知れない。スピードは嘘をつかない正直にレーサーの意を伝える、そこに潜む孤独感が男と言う闘争本能に長けた狼を映し出す。最終直線に入りフラップに突進すフォーミュラー1は制覇だけが心をかりたてる、栄光へのゴール目の前、その瞬間レーサーは非常にクールだ模擬の状況を描き緻密に計算されたイメージを作り上げる、それは覇権の構築である。

ユニフォームを脱ぎピットを後にする姿は様になる、モテる男へと変身だ。フェンスの向こう側にレースクイーン女が白いオープンスポーツカーで待っている。言葉も交わさず無言で乗り込み去っていった。孤独の影は癒されていく今日も。

太陽燃える外人部隊

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日々書き男のロマンを伝えていきたい。僕の果てしない空想の世界と現実とのコラボレーション、極めて短いショートショートの中にある心に留まる文章があれば、僕の意とするところです。ペンの強さは世に変え難い足跡となります、そして機会を与えて下さったはてなブログには感謝です。

  ある日の営門を出るのは解放された鳥のようにはいかなかった。生きている事を忘れさすほどの戦闘訓練を体に刻んだからだ。若しパラシュートが開かなかったら大福餅のように着地下で体が横へ広がってしまう、そう死である。何回となく生きている実感を、空手の組手乱取りの時も宙を切る回し蹴りを避けきれずに瞬時気を失った、その時とは数段異なるものがある。生きている事への憧憬は似るものがある。

生きている情熱の火は消したくない闘うことは最高なる男のロマンである、そしてそこに女がいれば後は何もいらない。無論美人なら映画の中の世界だ、コート姿にソフトをかぶりタラップを駆け上がる男、何か事情があるのであろう、タラプ下で女が見つめている瞳には薄っすら涙が映る。

サハラ砂漠のフランス外人部隊にいた、戦場が生きるリアル感だそこが居場所なのであろう。炎天の地の果てとはよく言ったものだ水一滴が生死を分ける、満天の星には薄らいだ慕情が蘇る、命がけの時は常に女の顔が過る渋く掘られた顔には白い制服が焼き付く。スリランカの酒場だった、カウンターに座ると一人の女がうなだれる様に横へ来て座った意味ありげだ。ぽつりぽつりと話し始めた彼氏の話のようだ、イラクに派遣され激しい銃撃戦で戦死した、そこで話が止まる。酒が紛れるのだろうと入った。するとカウンター越しに見えた姿が錯覚的に錯綜しらしい。彼も白い制服が良く似合い髭までが彷彿させたらしい。二人で暫く飲んだ話す言葉も無く、しかし何か気が通じ合う大分たったのだろうか表に出ると三日月が出ていた、その情景にはいやでも心情を揺すられるのだ。二人で無言でしばらく歩くと女が言った「今晩、寂しから寄っていて」、男は頷く。部屋は清潔に保たれベットのモスグリーンのシーツが可憐な模様と相まって異常に感情が高まって来た。朝目が覚めると隣に女がいた顔を見ると正しくアラビアンビューティーだ、一瞬だが心が騒鵜だ。コーヒーをブラックで飲み外に出ると日は既に高かった。白壁に映る白い制服がより際立った、女は微笑み手を振っている。互いに幸せな一晩だった、再び戦場に向かう男の後ろ姿に太陽が燃えていた。明日は。

人生の100マイル

私が日本を後にしたのはある日の冬だった。咽(むせ)ぶようなトランペットの音層が追いかけてくる、確かにマイルスデイヴィス・サウンドだ「心に沁みるぜ」その日。旅に出る何時もは着慣れた革ジャンに擦り切れそうなリーバイスだ、サングラスをすると彫の深さと相まって半端ではない、小柄だがトータルバランスは浮きたった。ウーマンズジェラシーとは俺の事だと鵜のぼれたものだ。

スーツ姿の俺がいたバックパックではなくスーツケースである、少し緊張した面持ちはもう帰る事のない気持ちが過(よぎ)ったからだろう、それは長い標(しるべ)のない旅となった小説家への道だ。

踏み入った空港は妬(や)けに白く目に焼き付いた、何故だか懐かしさが覆いかぶさってきた。親父がネイティブアメリカン、愛した母は日本美人、俺はその半分だから一目では反目となるアメリカンだ。問題なくゲイトはくぐり抜けた。ロス・アンジェルス、バタ臭い、だが行きかう人、街並みは易しく包んでくれるようだ、よし行くか。目と目が数秒互いに止まると俺の目がウインクとなる、ウセイ俺の癖が出てしまう。B型の俺の心は焦点を越えてさ迷うことが往々(おうおう)にしてある。渋谷、原宿、表参道、青山通り、よくジェイムス・ディーンの真似をし憂(うれ)いる歩き方をした、俺の右足は10代の頃、空手で後ろ回し蹴りを背骨に受け少しの損傷が多少歩き方を惑わす、当時は虐めを受けていたので乱取りは血を見る事もよくある激しいものだった。その歩き方もエロかったのか立ち止まってくれる女子も多かった。