人生の100マイル

私が日本を後にしたのはある日の冬だった。咽(むせ)ぶようなトランペットの音層が追いかけてくる、確かにマイルスデイヴィス・サウンドだ「心に沁みるぜ」その日。旅に出る何時もは着慣れた革ジャンに擦り切れそうなリーバイスだ、サングラスをすると彫の深さと相まって半端ではない、小柄だがトータルバランスは浮きたった。ウーマンズジェラシーとは俺の事だと鵜のぼれたものだ。

スーツ姿の俺がいたバックパックではなくスーツケースである、少し緊張した面持ちはもう帰る事のない気持ちが過(よぎ)ったからだろう、それは長い標(しるべ)のない旅となった小説家への道だ。

踏み入った空港は妬(や)けに白く目に焼き付いた、何故だか懐かしさが覆いかぶさってきた。親父がネイティブアメリカン、愛した母は日本美人、俺はその半分だから一目では反目となるアメリカンだ。問題なくゲイトはくぐり抜けた。ロス・アンジェルス、バタ臭い、だが行きかう人、街並みは易しく包んでくれるようだ、よし行くか。目と目が数秒互いに止まると俺の目がウインクとなる、ウセイ俺の癖が出てしまう。B型の俺の心は焦点を越えてさ迷うことが往々(おうおう)にしてある。渋谷、原宿、表参道、青山通り、よくジェイムス・ディーンの真似をし憂(うれ)いる歩き方をした、俺の右足は10代の頃、空手で後ろ回し蹴りを背骨に受け少しの損傷が多少歩き方を惑わす、当時は虐めを受けていたので乱取りは血を見る事もよくある激しいものだった。その歩き方もエロかったのか立ち止まってくれる女子も多かった。