人生の門

長く闇に漂う暗い洞窟を抜けた、そして、そこには大きな岩に閉ざされた道があった。どことなく溜息が漏れる人影を見た、人生とはその影を歩くようなものだと淳平は感じるのである。遠く長い道を歩いた疲労が肩先に崩れるかのように重くのしかかる、平坦な道ではなかった、だがそれが人生の本質なのであろう。「夢と起き夢と消えゆる我が身かな、浪速の事は夢の夢」、遊病者のごとく意味のない道を来た、風に向け木立の揺れをも見た、そこには必然性しか舞っていなかった。

感情なる世界

この世界が感情的に再現され幸福と言うものを追い求めても答えは無所得である。世界は人間の為だけに出来ているのでい、世界で起こりえる問題は苦渋なる選択かもしれない。果たして世界はどの方向へ行こうとしているのか、深淵なる答えを導き出し国の勃興は収まらない。幸福との言葉の響きから意図もすると理想的なものがあるような気がするが、残念ながらそうは出来てはいない、人間とは地球上に於ける煩雑な苔である無慈悲に侵略を続けるのである。一握りの思考によって行動は起こされる。

漁場に重なる声は大きかった。憲一がまだ中学生の頃だ、自慢の父は褐色の肌に鉢巻をし大漁旗を上げて帰港するのが常だった。東北日本海に面した漁場である、その日は待てど父の漁船が見えない。憲一は笑い声が大きい父の顔を来る日も来る日も港に待つが帰らない。皆口々に「領海を超えたんだろう」噂が聞こえるのだったのだ。

「父ちゃん帰らないよ」母に言った、沈んだ顔で母は「そうだね、困ったね」ぶつぶつと独り言のように言った。晩夏も過ぎ去ろうとする日に母が「父ちゃんは何処かで生きているよ、ここで待とうね」心なしか虚ろな目で水平線を指さした。

憲一が行く学校に一人の女の子の級友がいた彼女はクラスの委員長だ、前から友達になりたいと思っていた。よく帰る道が同じなので一緒になった、進路の話が多く話題は高校だった。父のいない今はそのことに関して聞くだけで自分からは出来なかった、このまま高校へ行けば母への負担が大きい事は感じていた。母にその事を話すつもりはない話せば母の事だから返事は「そうしなさい」である。しかし、学費の問題で心配をかけてしまう事は分かっていた。

彼女から誘いの声がかかった、あの山の沢沿いに蛍の聖地があるそうだそこへ行かないかとのことだ、母も一緒でいいとの話である。何万匹の蛍が流れる川のように映るようだ。三人と彼女の叔父さんが付き添うそうだ、その叔父さんがその話を持ち出した本人である。山道を四人は懐中電灯を下げ黙々と歩くのだ「今年は壮観になる」叔父は言った。一帯は暗くなり懐中電灯の明かりを頼りに更に奥へ入って行った。いつの間にか二手になっていた、母と叔父さん、憲一と彼女だ

一面蛍だ、そこは口には出せない程の壮観さだ。母と叔父さんは後からたどり着いた、そこには憲一と彼女が向かい合って手を握って立っていた。