人生を愛した 最終編 作家トーマス太田

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 疲労と挫折で喘ぐ者も少なくない人生を愛せるのは冒険家と哲学者だけであると言って過言ではないようだ。

ブライトンの海岸に沿った道は英国造りの花園だ、海岸と砂浜は自然な調和だが人の手が入ったようにも見える。昼間は、ほぼそこで思考と読書だ。スッカリ女性の影は消えていた、夜はチャイナレストランでの調理ヘルパーで生活費を極めて低く抑えた。元来、美食には興味すらなかった。野菜類と豆、少量の海産物があれば十分だ。それも過食することなく腹七分である、そう考えると何時も笑いが込み上げる「なんて無欲なんだ」、酒を飲む、酒で癒すと言う習慣は全く他人事であった。「精神を癒すのは自身だよ」と平然と笑える自分が好きだった。だが、女性と居る時、レストランでは彼女の言うとおりにするすることも彼の流儀だ。アルコール類は一切飲まず、彼女が飲めばそれを楽しむだけだ、勿論、食べきれないから切って彼女の皿に入れてやることもある。そう言う時は彼にとって愛情を感じる時間でもあった。女性にはある種の畏敬が常にあった。母子家庭たったこともあるし、母の愛情を溢れるほど受けたことだ、亡き母の面影を抱きながら歩き続ける事は人生を決して誤った方向へは進まない。ぽつりと言う「果実を見れば木が分かる」だな。そして、天涯孤独は自分を表現するための媒体キャンバスでなければならない。

緑が溢れ、雨が緑を覆い爽やかに自然が移行していく、外気はしっかりと湿度が低く蒸すと言う事は無縁だ、アングロサクソン系のシャープな顔は気候に由来するのであろうと感じた。旅は好奇心、触れ合い、袖すり合うも多生の縁か、旅情は尽きない。静樹は空手も有段者、其のことも心持を穏やかにしているのであろう、軽く考えるが有段者になると武器を両拳に持っているのと同等なのだ、だからウセイ奴が持つと危険極まりない。公園で仮想組手や型、柔軟体操を体力維持の為に強いてやった。必ず見物人が集まった、臨時に指導することもあった。西洋人の空手観はマーシャルアーツで神秘的かつ最強と考えているのだ。たまにはとんでもないこともある、165センチに満たない小柄な男であり、その鍛錬稽古を見ていると真の力を試したくなるのは人情かも。まして片足に乱取り組手で痛めた古傷で不自然な動きがある。ではあるが引き締まった裸体からは昔取った杵柄が滲みでる。その時、180センチある薄笑いを浮かべた大男から対戦のリクエストがあった。このようなストリートファイトは勝たねばならない、勝以外の意味は存在しない、「果たし合いもそろそろを終わる歳かな」と呟く。宮本武蔵は28歳以降は真剣果たし合いはしていなかった。まず必ず確認を取る、「怪我をしても良いのか、この見物人はウイッドネスになるからね」、男は言った「問題ない」、言うや否やストレートパンチが顔面に向けて飛んできた。目線が合った瞬間にそれは読めた、静樹は何時ものように身軽な驚異の跳躍力を利して跳ね上がり、後ろ廻し蹴りを体重を乗せて踵をこめかみに打ち込んだ。この大技は力の差が離れていないとなかなか決まらない、大男は前のめりに音を立てて崩れた。見物人は拍手喝采に湧いた「ワンダフル」。動かない、間もなく救急車が来た、見物人の説明を背後に受け、何時もの様に何時もの説明をしパスポートを見せた。静樹は何もなかったようにポーカーフェイスでそこを去った。20代の証明だ、そして先の人生を彩るものへの足掛けだと心に留めた。

静樹の姿がビクトリア駅に遇った。滞在期間も終わりに近づき残りの数日をロンドン市内見物とした。歴史的な建造物が多くウエストミンスター寺院の前に立つと芸術的威圧感と相まって石の立体感と創作性とを受け入れない分けにはいかなかった。「ああ松島や」だ。バッキンガム宮殿での衛兵交代、おもちゃの国を彷彿させ、只々、凝視するしかない、七つの海を君臨した大英帝国。歴史上の栄華は素晴らしい後世への贈り物である。

帰路はロンドンから格安航空券での乗り継ぎ空路となる、ドバイ、ニューデリーは少し時間があり見物する事にした、降り立つと何か皮膚が刺すように痛い、そして猛暑だ。何これ、原因は焼き付けるような暑さだった。ではあるが日蔭は涼しい湿度度もそれほどない、褐色眼光、彫の深さはこの気候から生まれるんだろう。牛は悠々と闊歩し人は日陰で昼寝である、何ともストレスのない生活だ。タイの空港では蒸し暑さと蚊だ。香港経由で羽田空港着である約一年ぶりの日本、別に感慨もなく、シーユーアゲインと呟きながら群衆と雑踏の中へ静かに消えていく静樹だった。