人生を愛した 第三弾

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駅での人並みは爽やかに流れていく、バックパックとバゲージだけの簡素ないで立ちでの行動なので身が軽い、何か欧州人のような感覚さえなったものだ。先ずは宿泊先へ直行である、ユースホステルと言う若者が使う安宿である。が、公認宿泊機関であり清潔感は十分だ。当時のフィンランドは短期滞在者でも労働許可が出た。これには驚いた、多分、動労力が低層労働を補えないのであろう。職安から仕事を探せた、静樹は電線工事と言う職種を選択、その理由は「俺って、高い所が滅法好きなんだよ賃金も悪くない」崖から見下ろし、畔(ほとり)、海岸岸辺が気に入りだ、そこからのカメラのフェンダー越しに見る風景は絶品だあるとの思いを持っていた。電柱の上で電線張りの工事をしていると下から声がした、ふと見下ろすと幅の広い帽子をかぶった金髪が帽子下からそよいでいた、フィンランド語で話しかけてきた、「分からない」と英語で返した。北欧は第二外国語がドイツ語だ、であるから英語の威力も一般には使えない事がある。が、公的な場所では必ずと言っていいほどユニバーサルランゲージである(心配無用スーパーランゲージ、補足、英語を憶えたいなら異性の友を持つことだ)。彼女囀る(さえずる)ように「Tシャツに何て書いてあるの」、彼のシャツに大きな漢字模様が入っていたのだ。出会いとか機会とは偶然な興味から始まるようだ。その時、小休止で下に降りた、「俺、日本人」、「えっ、嘘」取り留めのない会話となった。でもそこには見えない繋がりが生じる、神秘性を感じることも稀ではない、「袖すり合うも多生の縁」然りかな。「さー 今日は日曜日だ」昔ここでオリンピック開催された、薄らと記憶が頭をもたげた、「開催競技場へ行ってみよう」そこは時代が過ぎて行く面影がくっきり浮かんでいた。最上階の椅子に腰掛けフィンランドの空気を胸いっぱいに吸い込むと空想が止めどとなく脳裏を掠めていく、と共に、極自然に静樹の口から漏れるのだ「幸せだなー」これは全く嘯かない正直な彼の心境である、空間の自由を満喫できる現在を感謝との雄叫びだ。

ある日、街で見かけたカニ又で歩く青年をだ、見るからに日本人だ。ではあるが外国で見る日本人は一応にして中国人と間違うどうしてか、少し日本人の外面を話してみよう。ある部分の女子は語りかけても日本語が分からない振りをする、多分「私は外人よ」とでも言いたいのか、それほど白人と東洋人には美顔に対しての差があった。静樹にはそうされた事がなかった、一流のプレーボーイ気取りの彼だ。「女無くして何の人生だ」彼のキャッチフレーズでもある。話を戻し進める、バックパッカーである事は歴然だ、聞く「何をしている人」、彼はぽつんと言った「冒険家そのものかな」と、そこには照れた感じは無く行く先、何か世間にセンセーショナルな事を仕出かすのではと六感が騒いだ事は記憶に強く残っている。小太りな赤ら顔、酒焼けか、飄々とガリ又去って行った同志のようなものであった。後に彼が時の人となる、小野田少尉をフィリピンのルバング島で見つけ出すとは、その時、その様な概念は皆無だった。時の人となったのは鈴木紀夫氏であった。言った通りの立派な冒険家になっていたのだ、新聞を見て感無量となった。しかし、冒険家とカーレーサーは何時も孤独に去って行くのだ。最後の期はヒマラヤ山脈に雪男を探し求めて散っていった、何とロマンチストなんだドラマを地でいくようだ。相性の良さそうな奥さんとの笑顔の遺写真を見た時思わず目頭が熱くなった、ご冥福を祈ります。

三か月があっと言う間に過ぎた。デンマークへと方向を定めた、ここからは船足となる。昨日は身支度も新たにする為に洗濯もし、さっぱりと仕上げた。北欧の初夏は快適だ、まず日本の亜熱帯気候とは断然異なるものだ、そして短い白夜となるこれも情感溢れるものだ。クールネックの厚めのTシャツが白く映えた。そう大きくない客船はコペンハーゲンの港に入る、そこは御伽の国のように映った。やはりヨーロッパの文化は平面的な文化の日本とは異なり実に立体的だ、安定的に自然状態が継続される領土は文化の構築も深みを増すのであろう。気候も湿度を感じない爽やかさだ、まして北欧の夏は白夜と言って長く明るい。ここは人権に対しても法令処置が行き届いている。強く自由を感じた、ポルノグラフィ雑誌も驚嘆の域だ。素通りするように隣接しする国を跨いで行った。ストックホルムへと進める、他とは変わるのは言語だ北欧の第二外国語はドイツ語でその次はフラスン語で英語はマイナーである。しかし、スエーデンは英語を遜色なく使えるのだ。静樹は北ヨーロッパが性にあうのか背の低さを除けば違和感なく市民と交流で来た。静樹の英語はアメリカン英語で癖がなく軽やかに綴られる口調だ。当時としては稀で冴える(いぶかる)存在だった。

オランダ、ドイツ、フランスと列車旅を続けた。好奇心の目は倦怠疲労感は車窓から外へと消えていく旅情である。ファンタステック!「旅と人生は哀愁の標だ」と呟くのだった、多分、高揚した心が言わせたのか。海底トンネルで一気に列車はドーバー海峡を越境する。描かれた旅の青写真は英国にピボットを当てていたのだ。長期ね渡り留まる積もりでいた。ロンドンにたどり着くとその晩は夏季に臨時で張られたテント村で過ごす、其処は若者のヒッチハイカーが夏季を利用しての旅泊する場所だ。夏季はそう言う場所がヨーロッパには設置される、若者の好奇心には常に国境はない。ビクトリア駅から郊外の避暑地ブライトン、海岸沿いにある町だ、別に濃い理由は無いあるとしたら海岸で静かな場所だろう。その場所で過ごす時間は哲学に於ける考察「人生と愛」がテーマだ。人生で最も価値ある時期は20代である、20代をどう締めくくるかで後の人生に大きな足跡として影響が残る、と言っても決して過言ではないはずだ。既に彼の脳裏は整理されていた人生と言う冒険だ、冒険とは何も山河山海だけにあるのではなく抽象的偶像、都市や群衆の中から必然的にあるの方が寧ろ激だ、激流である。哲学する冒険家とは其のことで群衆の中に埋没しながら浮かぶのだ。非情と言える冒険だ。