人生を愛した 第二弾

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 若いカップルのミニスカートも珍しかった。カップルたちの旅は常に良好に行程が進むように感じる、旅とは心境の変化が環境が変わるごとに微妙に動く心だ。「長い事、風呂は御無沙汰だな、臭くないかな」ポツリ思う、車窓から見る風景は荒野に畑、点在する電柱、山下、放牧牛馬、只々、演習場を遥かに越える広大さは圧巻だった。何故か飽きることのない風景だ、「俺の頭は好奇心で何時も一杯だ」、モスクワの宵闇(よいやみ)を突き刺すように列車は駅に滑り込む。朝霧が煙る慕情か一歩踏みしめた瞬間、霧の中の自分に酔った。革ジャンとブルージーンズ、彫の深い顔はモスクワの駅にはベストマッチだ、行きかう人も静樹には異邦感を持たなかった。洋画の一場面、去って行く女をじっと見つめ女の名を呼び続けるシーンかな、ロマンを感じざるを得ない場面が外地にはある「カスバの女」か。英語は殆んど通用しない駅の案内所では英語が話せた、前もって指定されたホテルにタクシーで連れて行かれた、モスクワには三日間の滞在も指定されている。まばらな人並み、国家体制なので全てが穏やかに流れ、その眼差しにも別に際立った感じは見えてこない、広い広大だ、静寂感は静樹にとっては捉えようのなく取り留めのないものだった。ホテルもデカい人気のない校舎のようなものだ。「さー、今晩は風呂に入るぞ」ふと浴室を覗くと湯舟(後で気づくバスタブ)が煉瓦の上に於いてある、「へー、これって風呂桶か随分違うな」、湯を入れて入ったはいいが「何所で体を洗うんだ」、冷たいレンガの床に出て湯船のお湯で石鹸を流した。それはいいがそのお湯が流れずに床に溜まってしまったのだ。時間が経てば流れるだろうと浴室から出た。数分経つとドアがけたたましく鳴った、開くや否や大声で喚いているビアダルポルカのようなメイドが立っていた。階下に湯が漏れ落ちているとのことらしい、即、戻りタオル全部を床の湯に漬け絞り返した。西洋式文化だと知るバスタブで全てを済ますのだ。日本式の溢れるお湯で洗い流す事は快感だと懐かしく思う。慣れてしまえば別に大きな問題は無いだろう、元来、風呂はカラスの行水だ。

翌日、薄ドンよりとしているが晴れ間も覗かしている空模様の中を赤の広場への並木道を歩いていると、少し前を歩く女性がいた、通り過ごしながら挨拶をすると碧眼の目の色と微笑で見返してきた。「綺麗だ美しい」と呟く、静樹は圧倒的に美女には声を掛ける事は自然であった。多分。相手も悪い気はしないはずだとの気持ちは紳士道だと決めつけていた、その逆も然りだ。得意な英語で話しかけると英語で話し返してきた、英語での意思の疎通は実に素晴らしいスタンダードだしユニバーサルランゲージだと悦に入った。26文字のアルファベットの表現で世界は一つになれるのだ。静樹が喋れたのは米国への憧れとジョーン・バエズが好きな事で支障なくラジオから入って来た。赤の広場に二人はたたずむ、ソビエト連邦の表徴、ここは国の催事が行わる有名な場所だ。ベンチに座り身近な事を話し合った、大学性で親戚の家に遊びに来たとの事だった、日本への憧憬もありいずれは旅行で行きたいと言った、間髪を入れず「是非、来てください、僕が案内します」と伝え心にほのかなものが芽生えたようだ。人生には劇場のような成立性を感じた。ソフィアと逢った瞬時は其の後再び訪れつ事は無かった。

モスクワ駅から北欧に入る列車に飛び乗る、旅は一つ一つのメランコリックを重ねる憂いが好きだった。一晩越すとそこはフィンランドだった。車窓から眺める外景に写る印象は人々がとても綺麗な金髪で碧眼、これは晴天の霹靂だ、未だ過ってない日本と異なる文化風習を感じ美への憧憬の念を再度意識した。そして親日国家でもある。